東京高等裁判所 昭和32年(う)1030号 判決
被告人 津村憲
〔抄 録〕
一、控訴趣意第一点について
原判示第一の事実中、判示岩崎カネの受けた傷害が同人搭乗の自転車に被告人の運転する軽自動車を追突させたことに起因するものであることは、原判決挙示の対応証拠によつて優にこれを認めることができる。すなわち、被告人は原判示日時、判示軽自動車を運転して判示道路を時速約四十粁で東進中前方道路中央よりやゝ右寄りを荷台に木箱を満載した原動機付自転車(バイク)と、その右側を少し遅れて岩崎岩之助が自転車後部荷台に母岩崎カネを、前部に長女美鳥を乗せて同一方向に進んで行くのを認めたので被告人は原動機付自転車と岩崎の自転車との間を通り抜け追い越そうとして警音器を鳴らし、速力を多少減じて近接したが、原動機付自転車の前記積荷との接触を虞れハンドルをやゝ右に切つて進んだところ、却つて前記自転車との追突の危険に直面し、急に急制動をかけると共にハンドルを左に切つたが及ばず、被告人の軽自動車のバンバー右側を前記岩崎の操縦する自転車の後部泥除に追突させて該自転車を左前方に横倒しにしたため前記岩崎カネを自転車と共に判示場所の路上に横転させ、よつて同人に判示傷害を負わせたものであることは明瞭である。
所論は、当時の被告人の軽自動車及び岩崎の自転車の各進路は互に接触する状況になく、原審証人岩崎カネ及び同岩崎岩之助の証言は、衝突部位、衝突顛倒時の状況等につきあいまいで経験則に反し証明力なく、また岩崎等自転車搭乗者が身体を車体に着けたまゝ倒れたこと等の状況、衝突地点と両車顛倒地点との位置関係、両者の重量の相異、速度等より見れば被告人の軽自動車のバンバーが自転車の後部泥除に追突してこれを刎ね飛ばしたものとは到底考えられない。なお被告人の軽自動車が岩崎カネの背部又は脚部に触れることなしに直接岩崎の自転車に接触することは物理的に不可能であり衝突の痕跡も認められないので、本件事故は両車の衝突によつて生じたものでなく、相互に避譲する際車の平衡を失つて自ら転倒したものであると主張するが、前記岩崎カネ及び岩崎岩之助の各証人尋問調書を素直に通読すれば原判示の追突状況を如実を述べているものと認められ、本件のような一瞬発生した追突事故の場合、衝突の態様、部位等についての詳細具体的な説明ができないからといつて、これを目して証明力がないということはできない。また原審検証調書その他前掲証拠によつて衝突時の状況を検討するに、被告人の軽自動車は本件追突によつて刎ね飛ばされたものではなく、前記説明の如く、被告人が自転車に接触寸前、急制動をかけると共に左にハンドルを切つたため左斜前方にスリツプして倒れたものと認めるのが相当であり、その他本件追突までの経過、急制動措置、ハンドルの操作、接触時の両車の進行方向、傾斜の角度、接触の態様、接触部位、自転車搭乗者の数及び位置、地表面の状況等諸条件を前記証拠に基き具さに検討考察すれば、仮に所論の如く軽自動車の倒れた位置が衝突地点より三・六米であるに比し、自転車の倒れた位置が僅かに二・一米であつたとしても何等衝突の事実を否定する理由とするに足らず、頭書説明の如き追突による本件傷害事故と認めるに十分であり、当審検証の結果によれば前記軽自動車と自転車との進行方向及び傾斜の各角度如何によつて該軽自動車のハンドル又はバンバーの各右側を岩崎カネの背部又は右足部に接触させることなしにバンバーの右側を自転車後部泥除に接触させることのできる幾多の可能性の存することが確認された外、当審における事実の取調の結果によれば原審認定の事実に誤のないことはいよいよ明かであつて、所論のような経験則違反又は事実の誤認の廉は毫も見出し得ない。
更に所論は、被告人が接触の事実を認めた司法警察員並びに検察官に対する各供述調書に信憑性のない所以を縷々主張するが、事件直後本件捜査に当つた司法巡査である当審証人青木利夫の供述並びに司法警察員作成の実況見分調書に照し、前記供述調書の形式内容を検討するに、これらの調書には、所論のような取調官の誘導、欺罔その他その任意性信憑性を否定するような形跡はいささかも見出し得ない。又所論採用の示談書が、所論のように、被告人に無関係に作成されたものであるとしても、右は原判決が証拠として採用しないものであるのみならず、その内容に照し、接触の事実を否定する資料となり得ないことは勿論である。
その他記録を精査し、且つ当審における事実の取調の結果に徴しても、原判決には所論のような事実誤認の疑は毫も存しない。論旨は理由がない。
二、同第二点について。
所論は、原判示第一の事実につき、被告人は軽自動車の運転者として業務上の注意義務を尽しているに拘らず、被告人の過失を認め有罪を言い渡した原判決は法令の適用を誤つたものであると主張するが、原判決挙示の証拠を総合すれば、原判示事実は証明十分であつて、被告人に判示のような過失のあることを優に肯認することができる。
すなわち、本件事故の経過は、前記論旨第一点において説示したとおりであり、そして原審検証調書によれば、本件現場附近は東西に通ずる有効幅員六・三米の砂利敷直線道路であつて各所に凹凸部分が存し、事故発生前における各車の進路は、右道路南端を基準にして、被告人の軽自動車は約一・九米、岩崎の自転車は約一・五米、原動機付自転車は約三・一米北寄りであることが認められる。右の如く被告人が先行の原動機付自転車と岩崎の自転車との中間を追越そうとする際における右両車の間隔は僅かに約一・六米に過ぎず、しかも被告人並びに岩崎岩之助の原審並びに当審における供述によれば、右原動機付自転車は後方より運転者の身体及び車体附層のバツクミラーを見得ない程容積の大きい木箱を積載していたことが認められ、この事実を参酌すると、前記間隔は更に狭められるのである。かかる状況の下において前記両車の中間を追越すことは相当の危険を伴うものであること明らかであるから、この場合軽自動車運転者たる者は、原動機付自転車が岩崎の自転車を完全に追越すのを確認して後、先ず自転車を、次いで原動機付自転車を夫々これらとの間に十分の間隔を保つて追越すか、或いは右両車の間隔を測り警笛を吹鳴して注意を喚起しつつ絶えずその動静に周到な注意を払い何如なる事態が生起してもこれに対応し得るよう速度を調節して両車に接近し、両車が夫々左右に避譲し、安全に通過し得る程度の間隔を確認して後追越す等事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものと認めるのを相当とする。然るに被告人は数回警笛を吹鳴し時速を四十粁位より三十粁乃至三十五粁程度に減速したのみで両車に接近し、両車がほぼ併行した時両車の間隔は被告人の警笛吹鳴も効果なく従前と殆んど変化がないのに拘らず、先行二車が避譲するものと軽信し、その中間を追越そうとしたのみならず、前記原動機付自転車の荷台に積んでいた木箱に注意を奪われこれを避けようとしてハンドルを右に切つたため、その瞬間軽自動車のバンバー右側を岩崎の自動車の後部泥除に接触させたことは前掲証拠により認め得るのであるから、被告人の右一連の行為は前記業務上の注意義務に違反するものと断ぜざるを得ない。そして原判決を査閲するに、その注意義務並びに被告人が追越に当りとつた一連の措置に関する原判決の事実摘示は措辞稍間に失するきらいはあるが、叙上説示の趣旨であることを捕捉するに難くないので、被告人に過失なしとの所論は採るを得ない。所論援用の被告人の原審公廷における供述中被告人のとつた措置に関し前記認定に反する部分は爾余の証拠及び同人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書等に照し措置し難く、これを前提とする所論はすべて排斥するの外はない。
次に所論は、先行の二車が道路交通取締法施行令第二十四条に違反して被告人の軽自動車を避譲しなかつたことを論難するけれども、岩崎岩之助並びに岩崎カネの捜査段階並びに公判を通じての一貫した供述によれば、同人等が原動機付自転車の爆音に妨げられ軽自動車の警笛に気がつかなかつたことが真相に合致するものと認められ、被告人において先行二車の動静に周到なる注意を払つてこれに接近していたならば、被告人の数回に亘る警笛吹鳴にも拘らず先行二車があえて避譲しないことに気づき、警笛が岩崎等の耳に入らないか或いは他の何等かの事情で避譲しないものであることに想到すべきであるから、被告人が警笛の吹鳴によつて岩崎等が避譲するものと信じて行動したとするならば、右は先行車の動静に周到な注意を払わなかつたことに基因する軽信であるといわざるを得ない。従つて岩崎等の避譲しなかつた事実は被告人の前記過失責任に消長を及ぼすものではない。
更に岩崎岩之助が交通法規に違反し右側通行並びに三人乗りをしていたことは所論のとおりであるが、この事実は量刑において参酌すべき資料とはなつても、被告人に対する叙上過失の認定を覆えすものとは解せられない。
その他記録を精査し、且つ当審における事実の取調の結果に徴しても、原判決には所論のような事実誤認乃至法令適用の誤は発見し得ない。論旨は理由がない。
四、同第四点について。
所論は、原判示第二の事実につき、原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があると主張する。しかしながら道路交通取締法第二十四条同法施行令第六十七条の法意が、交通事故によつて被害を受けた者の身体、生命、財産の保護を安全にし、併せて事故を発生せしめた者の責任の所在を明確にしようとするにあることは所論指摘のとおりであつて、右法意に徴すれば、右法条にいう「人の殺傷又は物の損壊」は必ずしも所論の如く道路交通に危険を及ぼし、且つ傷害が救護を要し、損壊が填補を要する程度のものに限らないと解するのを相当とする。所論は独自の見解として排斥するの外はない。又被告人の軽自動車が岩崎岩之助の自転車に接触したことなく、或いは被告人に過失責任がないことを前提として、原判示第二事実を否定する所論は、以上一及び二において説示したとおり、その前提を欠くことに帰し、採用するに由なく、被告人が岩崎カネの足部に擦過傷のあることを知つていたことは、被告人の一貫して自認するところであるから、たとえ当時被告人が右カネの左胸部打撲傷を認知していなかつたとしても、右は何等判示第二事実の成立を妨げるものではない。更に記録を精査し、且つ当審における事実の取調の結果に徴しても、原判決には、所論のような違法は存しない。論旨は理由がない。
(谷中 坂間 司波)